HKIR(香港国際競走)2023回顧~香港ヴァーズ~

HKIR(香港国際競走)2023回顧~香港ヴァーズ~

香港ヴァーズ

結果

1着 2:30:12

Junko 真強

J : M. Guyon

T : A. Fabre(FR)

 

2着 

ゼッフィーロ 輕風飛

J : D. Lane

T : 池江泰寿(JPN)

 

3着

Warm Heart 熱心

J : R. Moore

T : A P O’Brien(IRE)

 

 

230秒台の極端に遅い決着時計の中、フランス調教馬のジュンコが勝利した。2着には日本のゼッフィーロ、3着にアイルランドのウォームハートが入った。日本馬で、日本・香港両地で単勝オッズ一番人気に支持されていたレーベンスティールは直線全く伸びず最下位に沈んだ。

ジュンコはフランス調教馬ということで、遅い決着が幸いしたことは確かだろう。良馬場発表ながら、史上2番目に遅い勝ちタイムになった要因とはなんであったのだろうか。

一部には小頭数によるスローペースがこの決着時計の要因と考えるむきもあるようだ。ただ、公式発表では日本的な上がり3fが35秒超かかっている。シャティン競馬場では600m標が4コーナー手前に位置する。ほとんど直線に相当するこの区間は例年この程度のタイムで決着していることから、スローペース以上に他に要因が存在したと推定できる。また、メンバーレベルの低さもこれに影響したように考えている。シャフリヤールの除外によって、G1馬3頭のメンバー構成。しかもうち一頭が2年前のアルゼンチンG1馬だった。ただ、近年の香港ヴァーズは同様のメンバー構成だったので、これが主たる要因とは考えにくい。

それよりも大きいと考えられるのは馬場である。当日は良馬場発表だったが、コースを歩いた際の芝丈の長さが印象的であった。ヨーロッパの競馬場は自然の地形をそのまま利用しているため、路盤が緩くなりやすく、非常に走りづらい馬場となっている。一方で香港や日本など人工的に建設された競馬場では、路盤が極端に緩くなることはない。しかもこの日は良馬場発表だった。そのため、この芝丈の長さに起因する走りずらさが大きな要因と言えそうだ。

また、3,4着馬も欧州調教馬、日本で遅い馬場を得意とする馬が入った。そうした中にあっては、東京コースを得意としているゼッフィーロはよく頑張ったといえる。直線の短いコースだったが、小頭数の分捌きやすかったのだろう。

レーベンスティールについては香港でも圧倒的な一番人気(レーズ前は単勝オッズ1.7倍前後で推移し最終的には2.3倍)に押されていたことから、期待も高かったが、最下位に敗れた。これについては二つの見解があると思う。

まず、よく言われているように、かかってしまったということ。これについてはジョッキーのコメントで"直線でウォームハートの後ろに入れた時点でプレッシャーを受け、外側に出した後から走りの型を崩した"とされている。1角の入り口では再びウォームハートの後ろに位置してレースを進めていく。この時にはもうすでにレースが終わってしまっていたというのがモレイラ騎手の見解のようだ。また、田中博康調教師は状態の悪さをレース後に反省していたという。

もう一つの考えとしては、3歳世代のレベルの低さだ。

今年の3歳中距離路線はレベルが低いと推定できる。毎年、クラシックは世代母数が5000を超える大数ではあるものの、トップホースの数には年によって異なる。そのため、クラシックレースのレベルは全世代が出走可能なG1レースと比較して、レベルにばらつきが出やすい。今年の日本ダービーの勝ちタイムは近年では当時30年で最遅ペースと言われるほどに(1000m:63.2秒、今年は1000m:60.4秒)遅かった2017年の勝ちタイムに次ぐ遅さで、スローペースや道悪などの要因を除けば、ディープスカイの勝った2008年に次ぐ遅さ。そしてこれは前週、リバティアイランドが買ったオークス(優駿牝馬)にも劣る。

現に、同レースの上位入線馬からはG2以上のレースの勝ち馬は出ていない。それどころか、クラシック最終戦の菊花賞では、23年ぶりの皐月賞馬とダービー馬の対戦が実現し盛り上がりを見せた。しかし、優勝したのは3勝クラスを買ったばかりのドゥレッツァ。それも大外枠の不利をものともしない圧勝だった。

これらを踏まえると、今年の3歳クラシック組は馬柱の綺麗さほどには評価できない=馬券的には人気なら消しということになるだろう。スムーズか否かにに関わらず勝負はもとより厳しかったと考えられるが、実際スムーズだった場合どうなっていたかは気になるところだ。

強い地元勢が出走せず、例年通りの低レベル戦となり日本勢にとっても最大のチャンスだったことは間違いない。ここを落としてしまったことが今回の香港国際競走での日本勢低迷の要因と言える。ここにまともなG1馬を送り込むことができればもう少し違った結果も期待できたはずだ。かつて、クロノジェネシスらが活躍していた頃の日本馬は本当に強かった。あの時代の印象で海外遠征を行うと痛い目を見るということが、今回の教訓だったのではないだろうか。

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